【映画】『花嫁はどこへ?』を観た!【名作インド映画】

インド映画『花嫁はどこへ?』のあらすじと感想

素晴らしいインド映画を観た。『花嫁はどこへ?』という作品である。

二十数年前のインドで、婚礼直後の顔を隠した花嫁を取り違える、という話なのだが薄暗い感じはあまりなく非常にポジティブな作品である。

そんなわけで感想なんかを書き記しておきたい。

※以下、映画の内容に触れているのでご注意ください。

『花嫁はどこへ?』のおおまかなあらすじとか

2001年のインドの大安吉日のある日、多くの花嫁花婿が満員の電車に乗っていた。

プール(ニターンシー・ゴーエル)とジャヤ(プラティバー・ランター)もまたそんな花嫁の中の二人である。2人がよく似た赤いベールで顔を覆っていたことから、こともあろうにプールの夫ディーパク(スパルシュ・シュリーワースタウ)は間違えてジャヤの手を引いて電車を降りてしまう。

寝ていたプールは気づけば夜の駅で一人ぼっちとなっていた。

ディーパクは気づかずに自分の実家までジャヤを連れてきてしまう。

自分の実家から夫の家への移動中だったわけだが、すべてディーパク任せだったプールは自分が乗った電車のことも、目的地だった駅も、ディーパクの村の名前すらもわからない。駅に住み着くチョトゥに助けられつつ、見かねた駅の屋台の女主人マンジュ(チャヤ・カダム)が手を差し伸べ、つかのプールは働くことに。花嫁修業で身につけたこと以外本当になにも知らない世間知らずなプールだったが、たくましく一人で生きるマンジュの姿を見て、自分の中にある可能性に気づき始める。

一方ジャヤは居候の身となるのだが、なぜかディーパク一家に自分の名前、結婚相手、電話番号すべてを偽って伝えていて、警察にも行こうとしない。数日一緒に暮らす中でディーパクの家の女性たちと交流を深め、それぞれに少しの変化が現れ始める。警察へジャヤを連れて行ったディーパクだったが、ジャヤの挙動はどこかおかしい。対応した強権的な警官・マノハル警部補はジャヤが何かを隠していることを直感し、結婚詐欺の可能性からその動向を探り始める。ついには証拠を掴んだ警部補はジャヤを抑留してしまう。

そこでジャヤは驚くべき事実を語り始めるのであった。

観た映画館にあった紹介用のボード。残念ながらチラシやポスターはなし。

『花嫁はどこへ?』のほんわか感想

脚本が素晴らしく、花嫁二人をはじめとした演技も素晴らしかった。

伝統に縛られていた花嫁たちが新たな価値観と可能性を手にし、自分の人生を切り拓いていく物語である。

あどけなさすら感じさせる何も知らないプールと、毅然として聡明なジャヤという二人の花嫁たちは見知らぬ場所で周りを巻き込み、影響を与え、自分もまた何かを掴んでいく。その少しずつの影響によりまた物語が動いていく。物語の進み方にピタゴラ装置的気持ちよさを感じつつ、物語を通してインドの文化や伝統における女性の立ち位置が浮き彫りになっていく。そんな構成の妙を感じた次第である。

冒頭に「特定の誰かを傷つける意図はない」とのキャプションが入るが、明確な悪役以外は確かに男性や社会そのものを悪とすることはない。あくまでも多様なあり方があり、自分の人生においてそれを選ぶ自由があるのだと伝えているのである。

ちなみにあのマノハル警部補までもが変化するさまはもはや痛快であった。インドの警察の描かれ方毎度やべーな、などと途中まで思っていたが、いままでにない感じで裏切られた。ちなみに「なんでそんな顔面に!?」と感じずにはいられないマノハルがずっと口に入れてるヤツ、あれは噛みタバコらしい。

また最後にカラカンドを食べて引き出しを開けるマンジュのシーンは特に良かった。

おわりに

ということで、『花嫁はどこへ?』を観た!という話である。いやはや、いい映画であった…!観そびれそうだったが観に行って本当に良かったのだ。おすすめである。

インド映画『花嫁はどこへ?』のあらすじと感想
パンフレット観るとインドの伝統や文化的な諸々を知る手がかりになる
観終わってからついカレーを食べた(映画内にカレーは出てこないが…)